機械的な完璧さ

たまに仕事のツール&フローの設計を任せると、機械的な完璧さを追求してしまう人がいる。彼は、その仕事を実行するのが不完全な人間であることを見落としている。仕事を設計するときには、人間のファジーな一面に配慮して作っておきたい。

 

同じように、「理論的に考えればこれは売れるはずだ」という商品は売れないことが多い。たしかに、売れる要素はたくさん入っているように見えるんだけど、人間は機械ではないから、理論に従わない。人間の曖昧な部分を見据えて、そこに届くコンセプトがないと、受け容れてはもらえない。

数式の美しさ

高校生のころに「これでも正解だけど、こう解いた方がきれいだよ」と教えてもらった経験がある人は多いと思う。当時の私は「そりゃきれいなのはわかるけど、そんなの思いつかないよ。解ければそれはそれでいいじゃないか」とちょっとふてくされていた。

でも、学生のときに「そりゃきれいだけど」と思える感性を育んでもらってよかったと感じる。仕事柄、たいしたプログラミングはしない代わりに、エクセルは使う。エクセルの関数を組むときには、美しくわかりやすい式を心がけている。その方が他人が見たときに理解しやすいし、修正しやすいからだ。

また、「公式を丸暗記するだけだと応用が利かない」という教えもエクセルに置き換えるとよくわかる。ふだん自分が使わない関数をググって使ったときの式の汚さと言ったら、ない。とりあえず求める値は返ってくるものの、自分が書いた式の意味がわからず、直しようもない。これではダメだ。

たしかに、汚くても答えは出るけれど、それでは困る。もっと美しい式を書こう。こういうみずみずしい感性を開いてくれる数学の先生は素敵だ。

「保育士は誰でもなれる」について

保育士は誰でも出来る仕事なのか...ホリエモンの発言が波紋を呼んでいる - NAVER まとめ

ホリエモンが「保育士の給料がなぜ低いのか」という問いに「だれでもできるから」と回答したという話。

 

批判が集まってるのですが、大切な指摘だと思いました。

というのは、ホリエモンは、「給料が安いのと、仕事が大変なのは別の話」だとしているからです。「保育士はだれでもできる、ラクショーな仕事」と言ったわけではない。

 

さて、この問題提起の底には「なぜ客は保育園に高いお金を払わないのか」があると思います。客が払うお金が多ければ保育士の給料は上がるはずですが、そうではないのはどうしてか。

 

保育士に子供を預ける親としては、保育士に望む第一の役割は「親の代わり」。親である自分は無給で働いているわけだから、その「代わり」に高いお金を払おうとは、なかなか思いにくいですよね。だから、ふつうの保育園の保育料は安いわけです。保育士の仕事が大変なことは、預ける親自身がよくわかっているわけですが、よくわかるだけに、高いお金は払わない。

かえって、体育に力を入れているとかとにかく勉強させるとか、「親の代わり」を超えたサービスを提供する保育園はとても高い。

 

ということで、高いお金がもらえない保育園で働く人の給料は当然低い。

給料を増やすには、働く人数を減らして、一人当たりの給料を上げるしかない。

だから、業務効率化が必要という流れ。

 

そして、業務効率化というと「子供との時間は効率化できない」と思う人も多いけれど、保育園が組織である以上、「組織を組織として保つ仕事」がたくさんある。いわゆる事務仕事ですね。ここをまず効率化できれば、とても便利なわけです。そういう意味での効率化が必要なんだと思います。

 

教育機関での業務効率化は、本当に必要。

それは間違いない。という話。日々辛いんだよな、自分が。結局いつものとおり、自分のグチです。わーん。

 

あとは、保育士の給料を上げるには、お母さんの無給状態をなんとかするというアイデアもありますね。家族がお母さんに毎月20万円払うようになれば、その代わりを頼むときにお母さんは保育園に高い金額を出すようになるかも。なーんてね。お母さん、ほんとにありがとう。いつか恩返しします。

大人になるための訓練

人間の完璧さは、限定的なものである。神のように、際限なく完璧になることはできない。

他人が他人に求める完璧さも、限定的なものだ。求める者が限定する分野における、限定的な質の完璧さの実現が求められる。

応えようとする者は、その限定の仕方に困惑したり、安心したりしながら、その求めに応えていく。限定する範囲・質が、両者にとって等しければ、2人は幸せである。

ただ、往々にして、その逆の方が多い。

そのギャップを埋めるためには、両者は歩み寄らなければいけない。

ところが、限定完璧性は実は恣意的なものだから、なかなかわかりあえない。めんどうなのは、それが恣意的だと、当人たちは思っていないことだ。

だから、気づいた側から、恣意的な限定を外して、別の限定を受け入れなければいけない。

なんで自分が譲らなければいけないのかと歯がゆく思うところではあるが、それが、大人になるということだ。

まだ子どもでいたいけれど、しかたがない。訓練の日々だ。

今野敏『隠蔽捜査』

久々に「半沢直樹」シリーズを読み返して、何か別の勧善懲悪モノを読みたく思って手にとってみた。

原理原則に忠実な「変人」警察官僚を主人公に据えた警察ミステリー。組織の隠蔽に待ったをかける主軸の裏で、仕事に忠実に生きる人間が直面する家族問題が描かれる、二重螺旋のストーリーが光っている。

主人公は「いかに正しい官僚としての仕事を全うするか」を基準に、ひたすら理詰めでモノを考えていくため、妥協を全く許さず、いわゆる「綺麗事」を「本音」として語り、そして実行していく。ちょっと友達になりたくないタイプだが、裏表ない性格に自然と共感してしまう。

続編も読んでみようかな。

 

隠蔽捜査(新潮文庫)

隠蔽捜査(新潮文庫)

 

 

 

新人マネージャーの嘆き

先輩がマネージャーに昇格して悩んでいる。現場を離れ、調整業務ばかりになり、自分が何に向いているのかわからなくなったという。

これまで上司に文句を言ってきたけれど、身近なマネージャーの繊細な悩みを聞くと、僕も態度を改めないといけないなあと、反省しました。

 

彼曰く、

上司も人間だ!

 

肝に命じて、少しずつ、相手を立てる人間に、なれるようになりたいなあ。

道はまだまだ険しいサラリーマン人生であった。

後編へ続く(キートン山田ふうに)

 

党議拘束と小選挙区制

池上彰さんが指摘していたこと。

アメリカの議会には、党議拘束がないため、議員1人ひとりが法案に対して賛否を表明する。

しかし、日本の議員は党議拘束があるため、党首の意見に従うのみである。

党議拘束を破ると、選挙で公認をもらえないため、議員は党本部に逆らえない。

こうして、国会は内閣の追認機関になっていく。

 

そうか、理論的には日本は三権分立だけど、それが機能していないように見える1つの理由には、党議拘束があるんだ。

もちろん、党議拘束がないアメリカでは、利益集団政治になりやすいという批判もあるため、一概にはいえないけれど、はっきりしているのは、党議拘束は、法律で規定されていない事項であって、実は、民主的手続きを経ていない。それが、民主主義を阻害しているというのは、肯首できる。