今日のみそ汁
大根の千切りに油揚げ、そして落とし卵。
油揚げを小さめに切ったのがよかった。うまい。
金融システム(有斐閣アルマ)No.1
何も意識しなければ、歴史物か哲学物、随筆に流れてしまう。そこで、教養の幅を広げるために、有斐閣アルマ『金融システム』を購入。経済学は未知の領域だけれど、政治経済を語る上で避けて通れぬ道なれば、挑戦してみよう。
金融とは何か?
そもそも「金融」という言葉がわからない。「金」が「融ける」と書いて金融。どういうことなんだろうかと思っていたら、「資金融通」の略語だそう。なぜそこの二文字で略したんだ⁉︎
現在お金が足りていない借り手が、お金を余らせている貸し手から資金を借りることによって、将来に儲けるであろう資金を先取りできる。この、「将来所得の現在所得化」が金融の役割の1つ。キャッシュフローを生むことで経済を活性化させているのだ。
新たな金融の役割
ただ、資金の融通だけが金融の役割ではなくなってきたらしい。デリバティブと呼ばれる金融商品によって、資金融通に伴うリスクも融通できるようになった。このデリバティブの誕生が金融の役割を大きく変えたそうなのだが、これはのちに詳しく扱うというので、今はふれない。
ということで、今日はここまで。なかなか読み進まないけれど、まとめを作りながらゆっくり消化していきたい。まずは、金融の言葉の由来がわかってすっきりした。
スタジオジブリ レイアウト展
すばらしかった。
なぜもっと早くに行かなかったんだろう。
単純な鉛筆の線でこんなにも強い世界観を表すことができるなんて、人間ってすごいな、と思った。
展覧のしかたも角度をつけていて、千と千尋のゾーンは、五メートルほどの三面の壁いっぱいにレイアウトが敷き詰められていて、まさに圧巻。
なんでもグラフィックソフトでできてしまう時代だけれど、根幹には鉛筆があるんだ。
人間って、捨てたもんじゃない。
ルイボスティーと家庭教師
ルイボスティーを初めて飲んだのは、まだ学生だったころ、家庭教師のお宅で夕食後の歓談をしている時だった。
当時のわたしは、下宿から往復3時間電車に揺られて、3人姉妹を教えに行っていた。長女はテコンドー、次女は薙刀、三女は空手という武闘派姉妹である。
お母さんは気立てのよい方で、家族そろっての夕食の席に毎回招いてくれた。そこで生まれて初めて口にしたものがなかなかに多い。手作りのキッシュ、湯引きした鱧、てっちり鍋(これは外食)。見たこともない立派な食卓は、もちろん、裕福な家庭ということもあっただろうけれど、このおうちの、食を楽しむ気持ちの表れだったように思う。
ルイボスティーは、その頃今ほどメジャーな地位にはなく、まだまだ変わりものだった。身体にいいみたいよと勧められて、飲んだ。甘みがあるが、どこかえぐみのある、正直言ってあまり好みではない味。それでも、毎回出してもらうコーヒーが少し苦手だった(とも言い出せない)わたしは、それ以来代わりにルイボスティーをいただくようになった。
その甲斐あってか、今ではパック詰めを買って、こうして毎晩飲んでいる。ビバ、ノンカフェイン。
今ごろあの一家はどうしているだろう。こうしてたまに、思い出している。
みそ汁を作る
プログラマーの友人に勧められて、みそ汁を作る。みそは一人暮らしを始めて2回しか買ったことがなく、2回ともみそ汁作りに挫折した身としては、3度目の正直である。
まずは、みそには産地があるということを知った。なるべく実家の味に近づけた方が旨く感じるに違いない。母に問い合わせると、東北のみそを使っているという。イトーヨーカドーで、秋田味噌350gを購入。
次に、出汁は取ったかと友人に確認された。一人暮らしを始めたばかりの私に、出汁なんていう概念はなく、当然、過去2回とも出汁は取っていなかった。さすがにあれから私も進歩をして、家にはちゃんと「ほんだし」がある。これを使おう。
ほんだしを溶かしたお湯に豚バラスライスともやしをたっぷり入れる。もやしって意外と縮むのか。秋田味噌を入れるときは火を止めて、そのあとは煮立たせない。風味が飛ぶなど気にも止めたことはなかったが、上手の教えは守っておく。
できた。
すでに旨そう。いや、旨い以外の選択肢はなかろう。
うむ、豚肉が甘い! これが、これが求めていたみそ汁である。
みそと出汁。みそ汁の構成要件の根幹を成す2点をおさえれば、旨いみそ汁は作れるのだ。
その後立て続けに、大根のみそ汁、なすと油揚げのみそ汁を作った。
大根はまずまずだが、大根だけだと寂しい。次は卵でも入れてみたい。
なすと油揚げは味は良かったが、なすから抜けた紫色が油揚げに染み付いて無残な色になってしまった。次は皮を剥くべきか。
今夜は豆腐と油揚げとわかめだ。油揚げはもう少し薄切りの方がいい。案外ふくらんでしまう。乾燥わかめは一度にたくさん入れるよりも、食べるたびに入れた方がよい。長くみそ汁に浸かっていると脱色してしまい、見た目がよくない。
それと、同じ味噌と出汁では飽きてしまったので、信州味噌と鰹節パックを買い足した。
変化がないと、飽きるものだ。プログラマーの彼は赤味噌と白味噌をその時に応じて配合しているという。みそ汁の世界は、奥深い。
祭りの思い出
小さい頃から祭りが嫌いだ。
ただでさえ歩きにくい下駄を履かされたうえに砂利道なんて歩くから、足がすぐに砂ぼこりでいっぱいになる。
人混みをかき分けて進まなくてはならないのに、親や友達はぐんぐん先に進んでしまう。
そのうえ、すずめの涙ほどの小遣いでは、真っ赤なりんご飴やきらきら光るおもちゃの腕輪なんて買えない。チョコバナナの屋台でじゃんけんなんて、夢のまた夢だ。
それでも金魚すくいはやった。スイミーみたいな黒い金魚や、ひれの大きな赤い金魚は取れなかったけれど、普通の、どこにでもいるようなやつなら、不器用な私でも大丈夫だった。
家に帰って水槽に入れて、すぐに死んでしまうもいたけど、五年も生きたやつもいた。死ぬたびに、アパートの植え込みにそっと埋めて、なるべく平べったい石を選んで暮石の代わりにした。
楽しい思い出もあったに違いないのだが、祭りというとどうしても好きになれない。祭りは嫌いだ。
いや、嫌い、というより、不安、という方が合っているかもしれない。
世界から一人取り残されたような孤独感と焦燥感。周りはやたらと人が多く、みんな変に陽気だ。
いつもと違う、ささやかな日常の調和が失われていくさまが、恐ろしい。
だから、大人になった今でも祭りに行くのが、あまり好きではない。
周りが楽しんでいればいるほど、どんどん怖くなってくる。
それでも、年に一度は何かの祭りにうっかり足を踏み入れることがある。
そんなときは、少し戸惑いながら、金魚すくいの屋台を眺めたりしている。