大人になるための訓練
人間の完璧さは、限定的なものである。神のように、際限なく完璧になることはできない。
他人が他人に求める完璧さも、限定的なものだ。求める者が限定する分野における、限定的な質の完璧さの実現が求められる。
応えようとする者は、その限定の仕方に困惑したり、安心したりしながら、その求めに応えていく。限定する範囲・質が、両者にとって等しければ、2人は幸せである。
ただ、往々にして、その逆の方が多い。
そのギャップを埋めるためには、両者は歩み寄らなければいけない。
ところが、限定完璧性は実は恣意的なものだから、なかなかわかりあえない。めんどうなのは、それが恣意的だと、当人たちは思っていないことだ。
だから、気づいた側から、恣意的な限定を外して、別の限定を受け入れなければいけない。
なんで自分が譲らなければいけないのかと歯がゆく思うところではあるが、それが、大人になるということだ。
まだ子どもでいたいけれど、しかたがない。訓練の日々だ。