今日のみそ汁

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今回は、春、ということで、タケノコです。ジャジャーン。

本当はワカメと合わせたかったのですが、ちょうど切らしていたので、豆苗で代用。でもこっちの方が青みがきれいだから、それはそれでgood。

でも、タケノコそのものはあまり味がしない(国産だけど安物)ので、次回作るなら油揚げをあわせるかな! タケノコごはんのセット!

春野菜もそろそろ終わるし、夏がやってくる。

 

はなの舞でごはんセットを頼んで初めてわかったこと

ごはんがあるのか うん!

そうかそうか

そうなれば話が違う

ここに並んだ大量のおつまみがすべておかずとして立ち上がってくる

孤独のグルメ』第4話 東京都北区赤羽の鰻丼

この五郎ちゃんの台詞は、本当だったんだ。おつまみ、たしかに、立ち上がってきた。焼き明太子。たこわさ。鳥の唐揚げ。海老の天ぷら。アジのたたき。

五郎ちゃん、下戸にも居酒屋は楽しい場所だってこと、教えてくれてありがとう!

一度やるとまたやりたくなってしまう。たこわさ、ごはんに合うなあ。ちなみに、向かいで友達はビールを5杯飲んでました。飲めるのもいいよねー。

ではでは、おやすみなさーい!

孤独のグルメ 【新装版】

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文学研究者と美術評論家:文学部不要論に寄せて

文学研究者と美術評論家とは相似の関係にある。両者は、自らは芸術を生み出さない。作家ないし芸術家が生み出したものに解釈を加えるのが役目だ。考えようによっては、芸術家さえいれば芸術は発展していくのだから、解釈を専門に行う人間など必要ないようにも思える。

しかし、と考えてみる。

美術館に遊びに行った時に、解説が全くない状態で作品を見て、素直に心を動かせる人間というのは、案外少ないのではないだろうか。たいていは、作品の解説を読んではじめてその作品の工夫に気づいたり、込められた意図に驚いたりするのがふつうのように思われる。また、美術品がショーケースに雑然と並んでいるよりも、企画展のようにまとまって配列されている方が作風の変遷や作品間の関係性がわかりやすく、観る側の想像力を刺激する。こうして、企画展の来場者をどこまで増やせるかが、美術評論家(キュレーター)の腕の見せ所だ。

文学研究者が書く論文とは、まさにこの、企画展そのものではないか。作家の作品をどれだけ読み手におもしろいと思わせるか。それが、文学研究者の腕の見せ所であり、一番の仕事だろう。

私の恩師がかつて言っていた。中国文学がほかの国の文学ほどに世の中で愛されていないのは、まだまだ研究の質が低いからだと。

質の高い研究とは「大人気の企画展」に値すると考えれば、この言葉はすとんと腑に落ちる。論文は、文学作品と人々をつなぐメディアなのだ。

文学研究、ひいては文学部は不要だ、という向きも聞かれるが、世の美術館から企画展が消滅してしまったら、残念がる人は多い。それだけでも存在する価値は、十分にあるように思われる。人が、知的発見に喜びを感じる限り。

なーんて、固いことを考えていたら眠れなくなりました。おやすみー。

 

ゼルダの伝説最新作クリア

※ネタバレを含みます※

 

はー、楽しかった!

3年前に「WiiUで新作ゼルダが出る!」と聞いてWiiUを買ったのに、毎度のことながら発売日がどんどん後ろ倒しになり、ここまで至った。

待ったかいがあったなー!

今回は、今までにないゼルダ、というコンセプトのとおり、たしかに一味違った。

  • 武器の幅が増えた。今までは剣のみだったが、本作では槍や斧が登場。風のタクトのときにモリブリンの武器を一時的に奪うことができたけれど、あれが正式にアイテムとして装備できるイメージ。戦い方に幅ができた。
  • 回復や各種効果を得るために料理をする。このへんもあわせて、ややモンハンをリスペクトしているように思える。それはそれでいい。
  • 大きなダンジョンは4つだが、オープンワールドなのでどの順に攻略してもよい。
  • 山や崖、すべてに這い上ることができるから、正規の道を通らなくて、無理やりに山越えをするルートを開拓することも可能。
  • ダンジョンは謎解き中心で、敵はほとんど出てこない。代わりに平原に敵がうようよしていて、中ボス相当の敵も平原で出会うことになる(こういう役割分担は新鮮だったが、ダンジョンがあまりに簡単になっていて、少し物足りなかったかも)。
  • ハートのかけら相当のものは、すべてミニダンジョンで手に入る。これはこれで楽しい。
  • 財布の上限が最初から無限。その代わりに物価が著しく高い。ゴロンの服相当の防具を買うのに平気で1000ルピー以上する。インフレ世界。ちょっとめんどう。
  • 風のタクトの相当あとの時間軸らしい。ナボールの名前が出てくるあたり、時のオカリナもふまえていて心憎い。ゲルド族が久々の登場。
  • もはやガノンが「歴史的に何度も復活してくる災厄」という存在になっていて笑える。
  • ゼルダ姫がメンヘラ。
  • 緑色の服が出てこない。
  • 相棒がいないからちょっとさみしい。
  • ラスボスが少しあっけない。ガノンにもおしゃべりしてほしかったけど、今回のやつは完全に無言でした。ドロフ様がしのばれる。

 

 

 

 

ユングと性格と悪口の関係性

興味がある、といってもアカデミックにとはいえないのだが、私はユング(1875-1961)の考えが好きだ。正確に言えば、河合隼雄の著作を通じて知ったユングが好きだ。

 

ユング心理学入門―“心理療法”コレクション〈1〉 (岩波現代文庫)

ユング心理学入門―“心理療法”コレクション〈1〉 (岩波現代文庫)

 

ユングは、人間の心を理解するために、自らの臨床経験から、性格の類型化を行なった(LINEやFacebookで見かける「性格診断」の類は、ユング心理学を曲解したなれのはての姿とも言える)。

 

今回は、ユングが設定した性格の類型を判別する1つの材料に、「悪口」が絡んでいるのではないか、というお話である。

 

ユングは人の性格を分類するために、まず、「外向」と「内向」という2つの仕切りを設けた。

外向とは、自らの心の内部よりもむしろ外部に関心の中心があるタイプを指す。概して言えば社交的な性格といえる。精神疾患を発症するとしたら、ヒステリーを起こす。それだけ周囲が気になってしまう、ということだ。

内向とは、自己の外部よりも内部に関心を寄せるタイプを指す。概して言えば、内省的な性格。精神疾患を発症するとしたら、神経衰弱になる。自らの内側の想念がぶつかりあい、消耗してしまうのだ。

 

これが第一の仕切り。このうえに、独立した4つの象限がある。

物事を判断する軸と、判断する以前に知覚する軸。この両軸が垂直に交わっている。

判断軸の両端は、「好悪」と「因果」である。物の好き嫌いを決めるのも、物の因果関係を見極めるのも、いずれも「判断(分けること)」であり、それが両極端なものであることは、直感的にも理解できるだろう。例えば目の前の置物を見て、「かわいくて好み」と思うか、「これは何で作られているのだろう」と考えるか。前者のような人を「感情型」、後者を「思考型」という。

判断軸に交差する知覚軸は、「感覚型」と「直観型」に分かれる。置物の例でいえば、感覚型の人間はその滑らかな曲線に関心を寄せ、直観型の人間は置物をきっかけにして、置物とは全く関係のないヒラメキを起こす。

これら「感情」「思考」「感覚」「直観」の4類型のうち、自らがどこに位置するのか。言い換えれば、自分が最も重きを置いている性質は何であるのか。これを調べるために心理テストで何問も問題を解くわけだ。「あなたは思考重視タイプです」「あなたは直観に優れています」云々。

 

ところで、最近思うに、これらの類型は、心理テストを用いずとも、当人が頻繁に使う「悪口」を聞けばある程度推測できるのではないだろうか。というのは、人によって悪口の言い方に大きな違いがあるからだ。

たとえば私の友人が使う「最低の悪口」は、「バカ」でも「アホ」でもなく、「気持ち悪い」なのだそうだ。少なくとも私は、「気持ち悪い」を悪口として他人に用いることはほとんどないし、それが「最低の悪口」とは全く思わない。彼が音楽や絵画にずば抜けた才能を持っていることを思いあわせると、この友人の性質はおそらく、快・不快に鋭い「感覚型」なのだろう。

私にとっての最低の悪口は、大きな声では言えないけれど、「理解できない」「頭が悪い」だ。ここまで書いてきてその通りだと思うが、私は「思考型」だろうし、もしそんな私を「大嫌い!」と言う人がいればその人は感情型だろう。

 

悪口は、自らの価値観の表明でもある。なるべくなら、別の手段を通して知りたいものだ。

 

なお、唯一、直観型の人の悪口にはなかなか思い至らない。周りに直観型の人間が少ないせいもあるだろうし、そもそも私のユング心理学への理解が足りないせいでもあるだろう。耳に挟んだ人には、ぜひ教えていただきたい。

ことの本質(これから)

大事だと思うけれど今の自分にはできない……。そんなことを書き出して、向かう未来の道しるべを整理するコーナー。随時更新予定。裏返すと今のわたしになります。ぞわわ。

主に、本で読んだことと、親しい人から聞いたこと。身にしみる言葉を残してくれる人がいる幸せを、かみしめないといけない。1番目は我が母です。

 

・叱られるうちに直さないと、そのうち誰からも叱られなくなるよ。

・たまには力を抜いて、別のことを考えよう。

・過去と未来ではなく、いま、この瞬間を感じて生きていく。

・怒りは幼稚な自己表現。

・自分に対する自信がその人を輝かす。

・笑う門には福来る

・ミスを指摘する前に、まずはほめる

・依存関係と恋愛関係は異なる

・自己卑下は謙虚の履き違え

・エネルギーはスピードの二乗に比例する(仕事の成果は質だけでなく素早さも大事)

・承認欲求を捨てろ。(アドラー)

・世の中、諦めが肝心。

・人間には限界がある。自分にも、他人にも。

・人間は究極のところ1人だということがわかれば、だれでも赦せる。(マスターキートン)

・他人に関心がある人などいない。だれもが自分に関心を寄せている。朝も、昼も、夜も。(カーネギー)

中之島図書館がたいへんカッコいいという話

大阪に遊びに行く機会があったので、学生時代にひとめぼれした中之島図書館に行ってきた。

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 明治37年完成。ギリシャ様式の堂々たる門構え。ちょうど、京阪淀屋橋駅から歩いて5分くらいの距離にある。

(もしも京都方面から来るなら、淀屋橋駅ではなく、あえて大江橋駅から降りてほしい。中之島線の木張りの駅の美しさも同時に堪能できるためだ)

その日は休館日のため、入り口からちょっと入れるだけだったが、入れるは入れた。

足を踏み入れると、ドラマの撮影に使われそうな階段がお出迎え。

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そして、上を見上げると……

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天井がドームになっていて、そこにステンドグラスがはめてある。球体の天井に幾何学的な円の装飾。にくいね、三菱!

写真では見えにくいが、階段が壁沿いに走っていて、それを下から見上げるのがおもしろい。

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階段の手すりはもちろん彫刻で覆われており、壁の窪みには人物の彫刻像がそれを登る人を見下ろしている。

明治時代の、手を抜かない装飾を見ていると、自分も現代でがんばらなければ、と激励されるような気持ちになる。

今日からも、がんばるぞー! 

そして、また来ようっと。